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東京高等裁判所 昭和49年(う)1612号 判決 1977年3月14日

本籍

埼玉県草加市高砂二丁目四一七番地

住居

同市高砂二丁目一四番一二号

歯科医師

株竹寛

昭和四年一月三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四九年五月一日浦和地方裁判所が言い渡した有罪判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は、検察官設楽英夫出席のうえ審理し、つぎのとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人笠原慎一作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用し、これに対して当裁判所は、つぎのとおり判断する。

所論は要するに、原判決の量刑は重過ぎて不当であるというにある。

そこで、記録ならびに原審で取調べた証拠を検討するに、本件は、歯科医師である被告人が公表経理上診療収入の一部を除外し、よつて得た資金を用いて架空名義の預金を設定し、あるいは架空名義もしくは無記名で有価証券を取得するなどの方法によつて所得を秘匿し、昭和四四年、四五年の二年度にわたり合計約二一九二万円にのぼる所得税をほ脱した事案であり、その犯行の態様も被告人自らが積極的、計画的に所得を秘匿し、人金メモを破棄したり金属床の外注個数を少く仮装するなど証拠の隠滅もしていた事犯であつて、所論の指摘する被告人に有利な事情をすべて考慮しても、原判決の刑が重過ぎて不当であるということはできない。論旨は理由がない

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 東徹 裁判官 石崎四郎 裁判官 佐藤文哉)

○控訴趣意書

被告人 株竹寛

右被告人に対する所得税法違反控訴被告事件につき、本弁護人は控訴の趣意を次ぎのとおり陳述する。

昭和四九年八月七日

右弁護人 笠原慎一

東京高等裁判所第一刑事部 御中

一、原審判決は被告人に対する所得税法違反被告事件の公訴事実を次ぎのとおり認定し、被告人に対して、懲役四月及び罰金五〇〇万円に処する、この裁判確定の日から二年間右懲役刑の執行を猶予する旨の判決の言渡しをなしたところ、右判決は刑の量定が不当にしても破毀を免がれないものと思料する。

「被告人は、埼玉県草加市高砂二丁目一四番一二号に居住し、同所に株竹歯科医院を置き、歯科医を開業しているものであるが、所得税を免れようと企て、

第一、昭和四四年分の総所得金額が三一、一三三、一六一円でこれに相応する所得税額が一四、六二二、八〇〇円であるにもかかわらず、公表経理上診療収入の一部を除外し、よつて得た資金を用いて架空名義の預金を設定し、架空名義もしくは無記名で有価証券を取得するなどの行為により所得を秘匿したうえ、昭和四五年二月二五日、埼玉県川口市青木町一丁目二一〇番地所在川口税務署において、同税務署長に対し、昭和四四年分総所得金額として一三、八六〇、五八六円、これに相応する所得税額として四、五七三、四〇〇円と記載した内容虚偽の確定申告書を提出し、もつて不正の行為により所得税一〇、〇四九、四〇〇円を免れ、

第二、昭和四五年分総所得金額が三五、九一六、六五五円で、これに相応する所得税額が一七、二二七、六〇〇円であるにもかかわらず、前記同様の方法で所得を秘匿したうえ、昭和四六年三月一五日、前記川口税務署において、同税務署長に対し、昭和四五年分の総所得として一五、八一八、八四七円、これに相応する所得税額として、五、三五四、四〇〇円と記載した内容虚偽の確定申告書を提出し、もつて不正の行為により所得税一一、八七三、二〇〇円を、免れたものである。」

つぎにその理由を述べる。

一、被告人経営の株竹歯科医院について

(一) 被告人の経歴

被告人株竹寛は昭和四年一月三日父益吉の長男として草加市に生れ、同二五年三月日本大学歯科専門部を卒業し、同年一一月第八回歯科医師国家試験に合格、同二六年一月歯科医籍を登録し、同年二月より翌二七年九月まで、宮城県白石市在村上歯科医院に勤務し、同年一〇月草加市に帰つて父経営の株竹歯科医院で父を手伝つているうちに、同三一年六月父の死亡により被告人がそのあとを引継ぎ同歯科医院を経営するに至つた。

そして被告人が本件所得税違反が発覚した当時被告人は埼玉県診療報酬基準審査委員、埼玉県歯科医師会代議員会議員、埼玉県歯科医師会草加支部副支部長の職に在つた。

(二) 株竹歯科医院の経営規模

株竹歯科医院は父益吉の時代は被告人と二人で二台のユニツトを使用していたところ、昭和三一年に父死亡後は被告人は順次人的物的の両面に亘つて、その整備拡充することに意を注ぎ、同四一年には医院の建物を新築し、その最盛時には従事員として雇傭医師四人、技工士一人、技工見習三人、衛生士二人、看護婦五人、受付一人計一七人の多勢となつた。また、被告人は歯科医療に新技術を導入することに熱心で、母校の日本大学歯学部(大学院)生理学教室において研究を続け、その近代化に努力した。斯様な努力が次第に患者の認めるところとなり、その信頼を博し、その経営も順調に発展していつた。

その反面経理事務は不得手な点もあつたが、関心が簿く、経理担当の事務員も置かず、被告人自身がメモ程度の帳面に記入して処理して居り、著しく立ち遅れていたことは否めなかつた。

二、所轄税務署の歯科医師に対する所得税の確定申告に関する行政指導と確定申告の実状

我が国の税法は所得税につき、申告納税制度を採つているところ、該制度は納税義務者が自己の所得金額及び税額を正確に計算し、自主的に申告し納税することを本来の姿とするもので、その制度の成否は納税義務者が誠実に申告するかどうかに懸つている。

納税義務者は納税義務を認識し、誠実な申告をなさねばならぬことを知りながら、課税負担の軽減を望まない者はない。

そこで、税務署は毎年確定申告期が近くなると確定申告の説明会などを開いたりして、その行政指導に努めている。

埼玉県歯科医師会草加支部においては既に十年余り前から所轄川口税務署の職員によるその説明会が開かれている。その時期は忘年会又は新年会が草加市の料亭で催される際川口税務署の担当職員が二、三名派遣され、歯科医師側は支部会員全体が出席することが常である。説明会においては、税務署の担当職員は概ね確定申告に関する一般的な説明をなし、歯科医師側に良心的な正しい申告をなすように要望し、会を閉じるけれどもその懇談会に入つて、酒食が出されてからは、確定申告の核心ともいうべき、当該年度の確定申告の金額を算出する基準につき、質疑が行なわれ、税務署職員はその参考のため前年度の業者の所得平均的申告実績及びその社会保険診療収入に対する自由診療収入の平均的な比率を明らかにし、当該年分の申告は前記前年分の平均的申告実績及び平均的比率以上の額であるならば、税務署はこれを受け入れるであろうと示唆するのである。

他支部における説明会の状況もこれに大同小異と推測されるが、大宮支部の状況について、大宮市に歯科医院を開業し、埼玉県歯科医師会の専務理事の職に在る大木春吉証人は「説明会終了後懇談会において地区の専務理事などが特に担当者と話合つて、大体これぐらいにしようと言うように話し、これを会員に説明していた」と証言して居り、その申告につき、両者の間で相当突込んだ話し合いがなされその席で当該年分の申告の基準が暗示されているように看取される。

被告人の本件所得税法違反被告事件が発覚された後にも右説明会は引続いて行なわれ、本年一月の新年会は草加市の八百梅という料亭で催されたところ、川口税務署の担当職員二名が出席し、確定申告に関する行政指導が例年とおり行なわれた。

(一) 歯科医師の確定申告

埼玉県歯科医師会所属会員も同様と考えられるところであるが、草加支部所属会員は前記説明会等で川口税務署担当職員から示唆された社会保険診療収入に対する自由診療収入の平均的申告実績比率を基準にし、その申告者の経営規模を斟酌し、その所得の申告をなしている。

歯科医師は概して経理を不得手とし、帳簿組織の整備に無関心なうえ、専任の経理事務員を置く者が少なく、その所得税の申告を重荷に感じて居り、川口税務署担当職員により知つた自由診療収入の算出基準によると、その所得の計算は極めて簡略化され、経理の繁雑さも回避することができる。(社会保険診療収入に一定の比率を乗じ、自由診療収入を算出することができる。)

(二) 被告人の確定申告

被告人は草加支部で開かれた川口税務署担当職員の出席した説明会には毎回出席している。

昭和四三年分確定申告の説明会では社会保険診療収入に対する自由診療収入の平均的申告比率は一五%、同四四年分は二〇%といわれたところ、被告人は自己の医院の経営規模を斟酌し、昭和四四年分は二〇%、同四五年分は二五%をそれぞれ申告している。

経費については、確定申告用紙を空欄として担当職員に提出すると該職員が相当額を記載している実状である。

これを要するに被告人の本件所得税の確定申告は所轄川口税務署担当職員の行政指導に基いてなされたところ、その結果において本件判決を受けるに至つたのであるが、本判決はその免税額の多寡はあつても、その理由は他の歯科医師にも当てはまるものと言わなければならない。

しかるに、被告人のみ関東信越国税局からその取調べを受け、終に起訴され、本件判決を受けるに至つたのであるが、右事情は被告人の本件処断に当り、充分斟酌せられるべきであつたと思料する。

三、被告人の受けた制裁について

被告人は本件所得税違反事件につき、原審で判決の言渡を受ける以前に社会的、経済的、精神的に深刻な制裁を受けて居り、このうえ、被告人に対し、本件被告事件につき懲役四月、罰金五百万円の判決は、懲役刑につき二年間の執行猶予が付されていてもなお、右判決を全体的に見るとき刑の量定不当にして破毀を免れないものと思料する。

(一) 社会的制裁

被告人の本件所得税法違反被疑事件は昭和四七年一月二〇日に、朝日、毎日、読売、サンケイ及び埼玉新聞など東京及び埼玉県内の有力紙に被告人の写真入りで大々的に掲載され、被告人の悪名は東京は言うに及ばず草加市に普く周知徹底され、多年苦心の結果築いた被告人の歯科医師としての信用と声望は一挙にして崩壊するに至つた。

被告人、妻孝子、妹恭代らはそのため非常なシヨツクを受け所謂ノイローゼとなり、約三か月間入院し、退院後約一か年半は緊急な用務のあるほか殆んど外出することなく、自宅に引きこもつて、本件被告事件を静思反省して過ごした。

(二) 経済的制裁

被告人は本件所得税法違反により、川口税務署から昭和四七年一一月二〇日に昭和四三、四、五年分の申告所得につき修正され、既納分のほか更に次のとおり所得税及び県民税ならびに市民税合計金七二、八六〇、三八六円を支払つた。

被告人は右諸税の支払いのため、銀行預金、信託、など総て解約しその支払いに充当したところ、なお、不足を生じたので、親戚から借入れてその支払を完了した。

イ、所得税 本税 加算税 利子税 延滞税 計

1昭和四三年分 八、三五〇、三〇〇円 一、二五四、六〇〇円 一一、〇〇〇円 一、一一六、六〇〇円 一〇、七三二、五〇〇円

2昭和四四年分 一七、九四〇、四〇〇円 三、八二〇、八〇〇円 一四、六〇〇円 二、四九一、八〇〇円 二四、二六七、六〇〇円

3昭和四五年分 二一、八七七、七〇〇円 四、九四〇、四〇〇円 -円 一、九九二、九〇〇円 二八、八一一、〇〇〇円

4合計 四八、一六八、四〇〇円 一〇、〇一五、八〇〇円 二五、六〇〇円 五、六〇一、三〇〇円 六三、八一一、一〇〇円

ロ、県民税及び市民税

県民税 市民税 計

1昭和四四年分 三〇六、〇〇〇円 八四一、八九〇円 一、一四七、八九〇円

2昭和四五年分 八五四、〇〇〇円 二、五六三、二〇〇円 三、四一七、二〇〇円

3昭和四六年分 一、一〇一、〇三六円 三、三八三、一六〇円 四、四八四、一九六円

4合計 二、二六一、〇三六円 六、七八八、二五〇円 九、〇四九、二八六円

被告人はイ、記載のとおり昭和四三年分乃至同四五年分の加算税として、合計金一〇、〇一五、八〇〇円を納付している。

加算税は懲罰的な意味で賦課されるものであるから、その実質において刑罰に異ならないといわれている。

(三) 精神的制裁

被告人は本件所得税法被疑事件が日刊各紙の大々的な報道で世人に周知され、そのシヨツクでノイローゼとなつて約一年九か月の間自宅にあつて謹慎生活を続けていたところ、その将来に不安を感じ睡眠薬を服用し自殺を図つたところ、その発見が早く、辛うじて一命を取り止めたことがあつた。

しかし、被告人の実妹株竹恭代(当43才、独身)は被告人が本件で起訴され、浦和地方裁判所においてその取調べを受け苦慮している姿を見るにしのびなかつたこと及び判決の結果如何によつては、歯科医師の資格を取消されることを心配し、本年一月二三日姉の嫁ぎ先において家人の留守中ガス自殺をなし、その一命を失なつた。

右恭代は被告人を助け、株竹医院を現在の規模に発展させた功績は甚大であり、被告人の受けた精神的打撃は測り知ることができない。

四、被告人は改悛の情が顕著で、再犯の恐れはない

被告人の性行については、その大学時代から現在に至るまで引続いて交際して居り、大宮市で歯科医院を経営している大木春吉証人は「真面目で、人と食事なんかすると人の分まで払つて下さるようなそういう性格の人です」、「金銭については執着の少ないほうだと思います」、「歯科の新技術の研究に一生懸命研究されている」と述べて居り、その性格を知ることができる。(大木証言参照)

被告人は前科なく、本件により株竹医院の信用は地に落ち、その挽回に必死の努力を続けて居り、また経理及び税申告については専門の公認会計士に委嘱し、被告人自身一切関係を断つて居り、再犯の恐れは全くないものと思料する。

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